■艇名:ECHO POINT
■艇名の由来:
20年以上前、現代美術の作家で現代音楽の作曲家である鈴木昭さんの作品展の中で使われていた言葉です。鈴木さんに艇の名前として使う許可をもらいました。ついでにデザインもしましょうかと言ってくれました。
ものに重点というものがあってそこ1点でそのものを支えられます。
盲点と言って人間の網膜に空の場所があり、ある角度、ある方向の1点は何もみえません。
ECHO POINTも同じ様な点です。
ECHO POINTはエコー、こだまがこだまする中でその1点だけ全くエコーが消滅し聞こえないところがあります。そこがECHO
POINTです。
■オーナー紹介
・氏名:西郷 五十生
・住所:東京都調布市若葉町1−11−9
・電話番号:セキュリティ対応で省略しました2021.6.4
・携帯電話番号:セキュリティ対応で省略しました2021.6.4
・E-mail:saigou@yc5.so-net.ne.jp
・携帯メール:今のところ使っていない
・ホームページ:http://www.donsaigou.com/hakutikouro.html
泊地航路情報です。
海から神に参る
http://www.donsaigou.com/umikaramairu.html
メンテその他
http://www.donsaigou.com/rinkusyu.html
・私の略歴:大手印刷会社の企画部門に長く勤務し、60才の定年を期にヨット三昧の
生活をしています
・私のヨット歴:ヨットの経験だけは30年以上と長いのですが、ズット、サンデーセイラーでし た。神奈川県の真鶴に20年間弱、熱海にマリーナが出来たのを機会に移動して現在に
至っています。初めてオーナーになったのは34才で船は木造艇の岡本25です。
次ぎにBW24、BW33と乗り継ぎました。会社勤務の時代は雨が降っても雪が降っても日
曜には必ずハーバーに行ってました。出艇率は一番だと言われてましたが、サラリーマン
で長期休暇は取れず遠出はしたことはありません。遠州灘の福田港が行った一番西の港
でした。
■航海区域と航海のスタイル
約1年半。2006年5月3日〜2007年11月25日
定年で時間が出来たのでシングルハンドで母港熱海を2006年5月3日に出港し、四国の太平洋岸、九州東岸、種子島、屋久島、トカラ列島を経て沖縄の宜野湾マリーナに11月9日に到着。すぐ座間味島に渡り、ここを基地に久米島その他周辺をめぐり約1ヶ月間遊んでいました。その後、12月中旬に沖縄本島に戻り、宜野湾マリーナに冬の間、ヨットを預け、東京の自宅に帰りました。2007年3月にマリーナに戻り、上架メンテをし、4月13日にマリーナを出港。九州西岸、甑島、五島列島、壱岐、関門海峡を経て、瀬戸内海に入り、あちこちの港に寄り、神戸、大阪から紀伊半島の周参見に到着。周参見は来た時と同じ港で以後、来る時と反対のコースを辿り熱海までもどりました。
62才で出発し,母港に帰ったのは64才でした。日本各地の千年の歴史と文化を訪ね、居たい所にはいつまでも居るという船旅でした。
いつもは熱海近辺、特に5マイル程沖の初島を一周してます。
伊豆七島、油壺や三崎港のある三浦半島へも良くでかけます。
航海の時に港に出かけるというより可能な限りヨットで生活し、時に航海に出るといったヨット生活です。
■係留場所:フィッシャリーナ那智。日本海や日本の南方にいくのにべんりなので、
2018に熱海から紀伊半島の南端に移動しました。
■所有しているBW33の紹介
約20年以上前にKAZI誌にBW33希望と出し、手に入れました。
油壺ボートサービスでライフラインを付け直した時にこの艇は油壺ボートサービスが昔シーボニヤの会長をしている方から買ってマストを立て、改造して販売し、油壺に係留していた艇だそうです。船尾についている海に下りるはしごは社長の日高さんが若いころ自分で溶接して作ったと言ってました。
私の船には製造番号とかは入ってません。
■オリジナルからの改造やオプション機能について
私の艇はスルーマストです。天井の補強FRPを切ってマストを通しているので、オーナーの希望で改造したのではないかと思います。
私はシングルで乗っているので右舷側のバースを一つつぶして、ENGELの冷蔵庫を設置してます。
買ったときはホイールでした。普通の人と逆にホイールを外してティラーに戻しました。
■オーナーのコメント
BW33を非常に気に入って乗ってます。
沖縄までの行き帰り、約1年半のロングはBW33に助けられBW33だから快適に航海出来たのではないかと思ってます。
■私のBW33の姿
母港熱海にて、新調したメインをセットして | 屋久島、宮之浦にて |