海路から神に参る

紀伊半島

五ヶ所湾 五ヶ所浦  で神社に参る
2006.5.11(木)

五ヶ所湾は紀伊半島の東側の根元にあるリアス式海岸の深い深い湾である。真珠の養殖で知られ栄えた湾であった。
五ヶ所浦はその五ヶ所湾の東側の最奥にある港である。
声をかけてくれた地元の床屋のおじさんのところにポリタンと台車を持って水をもらいに行く。少し話す。
この辺は漁師町だったんですかとか聞くと。そう、昔は大変な賑わいの場所だった。とのことであった。
真珠で大変の景気だったのだ。確かに大きな旅館のあともある。かっては観光客も大勢来たのだ。
かってを懐かしむような、現在が残念であるような風であった。
地元の漁師さんともチョッと話したが、御木本さんが真珠を作り出したのは鳥羽ではなく、この五ヶ所湾だったのだそうだ。
対岸の少し高くなったところに御木本御殿と呼ばれるたてものがあったそうだ。
御木本氏の出身地が鳥羽なので真珠といえば鳥羽になってしまった。と言っていた。

五ヶ所神社。
港から5〜6分、五ヶ所川沿いのこんもり茂った小山を背景に鎮座するの五ヶ所神社を参拝。

2006.5.12(金)
時々晴れの時々が全く無く厚い雲。
午前中は五ヶ所浦の歴史探訪、五ヶ所城跡と愛洲の館を訪ねる。
五ヶ所川沿いに五ヶ所神社を杉過ぎ次の次の橋を渡ったところにあり海から10分程度である。
五ヶ所城跡を訪ね歴史紹介「愛洲の館」を見学。愛洲はアイスと読む。
愛洲氏は南北朝のころ活躍。その名は領主としてより剣祖「愛洲移香斎」の出た家柄として有名。
愛洲移香斎は剣術「愛洲影流」の開組であり、剣術流派の祖である。
だれも一度は聞いたことがある柳生新影流も影流の一派であり、その他剣術の諸流派の祖となっている。
現在も剣術、剣道にちなんだ行事が当地で行われて。

 五ヶ所神社  五ヶ所神社の森