海路から神に参る

紀伊半島

勝浦港  で神社に参る
          

勝浦は景勝地として叉温泉地として有名である。
港の直ぐ上には後白河法皇が熊野行幸のおり、しばしば立ち寄ったという勝浦全体を眺められる丘がある。
1000年の歴史に満ちた土地である。

2006.56.3(土)予想に反してうす曇のいい天気。
湾奥、銭湯「はまゆ」の手前に勝浦では一番主な神社の八幡神社がある。

洗濯をする。ただ、強風波浪注意報が出ており、明日も続く模様。
昼の食事は地元の人おすすめの店で取る。勝浦としては珍しく本格日本料志向で、チョッと物足りなかった。

5時から有名なホテル浦島に行ってみる。1000円で6つの温泉に入れる。
特に有名なのは忘帰洞という海に面した洞窟の温泉、先ずここに入る。
話の種に一度は入って見る価値あり。
その他の温泉も一渡り入ってみる。泉質としは、人の少ない磯の湯の透明な風呂が特に良かった。

2006.6.4(日)曇り、かなり厚い雲。
東の雲が薄く、朝日が上がる。今6時半。
今日も強風波浪注意報。湾内ともいえるので昨日までは太地へ行く予定にしていた。
やはりいくら近くても強風波浪注意注意報が出ている時には初めての港へ入ることは止めることにした。
雨が降り出す。時々雨といった状態。
今日の昼はKAZIが推薦していた「めしや里」でまぐろ丼1200円、この店は朝6時からやっている。お客は漁師が多い。
勝浦での食事は「鳥羽山」「おがわ」「めしや里」と三軒で取ったがお勧めは「鳥羽山」である。竹原は行っていない。
食事の後、初めて銭湯「はまゆ」に行く。お湯が常に流れ出ており清潔ですいており快適な温泉銭湯であった。
後で表記を見ると3馬力のモーターでくみ上げと記載されていた。自然に湧いているわけではないのだ。

2006.6.5(月)夜中激しい雨が降る。
今6時、5時ごろ一旦止んだ雨が又降ってくる。
5時の天気予報では強風波浪注意報は解除になっている。
午後には雨も上がり日も差す予報となっている。

今日は太地に向け出発したいので早めに天満駅のそばにあるという神社にお参りしたいと思ったが雨で出られない。
11時ごろようやく晴れてきたので行動開始。歩いて30分程度とふむ。
湾の奥まで行き那智海岸に出たところで綱きり島をカメラに収めたいと、
海沿いにある遊歩道を駅とは反対方向に進み、出会う人ごとに綱きり島はどこですかと聞くが誰も知らない。
漁師らしき40代ぐらいの人は私は地元の人間だがこのあたりに綱きり島と言う島は無いと断言していた。
郷土の歴史と文化に対する教育、尊敬、大事に思う心使いが消えて行っているのだ。
綱きり島とはふだらく思想に基づき僧が一人で冬、北の海に船と共に流されて行く際、流されて行く瞬間に船と島を結んでいた綱を切り落とす。
その最後の綱を結ぶ那智湾沖の島なのだ。地図で覚えている範囲のそれらしき島をいくつか撮影する。

取って返し天満駅に向かう。
駅らしきあたりに森が見える。駅の反対側だ。
人がいないので失礼して線路と駅を乗り越える。
4つの社があり中央2つが大きく左右が少し小さい。
20年ぐらいの内に同時に建てたと思われる比較的新しい。
昔は直ぐ前が海岸で少し高台で海に面していたのであろう。森を成している木々が美しい。
由緒ある神域を感じる。主神は向かって右の天神社、左は八幡宮。一番右は護国神社、左端は地主神。ひとけはまったく無い。

 八幡神社  那智海岸の前にある小島
 天神社  八幡宮  綱切島?
 泊地  後白河法皇が立ち寄った丘から

2007.10.23(火)
勝浦に近づくと梶取崎(かんとりさき)が見えてくる。
300mほど沖に注意を要する暗岩があり白波が見える。なつかしい、私の大好きな太地だ。
わざわざ入っていかなければならないのでヨットマンは素通りしてしまう。
鯨で有名な太地は素晴らしい港と町であった。また寄りたいが、今回はパスし、那智勝浦を目指す。
10時半に勝浦着。美しい景色は似たようでいてそれぞれ微妙にというか大きく異なる。
岩と緑に囲まれた美しい那智勝浦を再訪。
ホテル浦島の前を通って奥左の一番静かな岸壁に係留完了。11時。
八幡神社に参拝し、温泉銭湯が開いているか確認。
2014.5.25(日)
3時起床。5時前の出港を目指す。
昨日の天気予報。
きのう勝浦について、11時の予報チェック。25日は朝から10m以上の風が出る。
こりゃ、明日はダメだと那智まで長時間散歩になどに出かけていた。
ところが、夕方5時の予報では風は6m〜9mに変化。
ただ、西ないし南西なので真登りとなる。
この予報通りなら出港してみて、悪くなれば串本に入って待機しよう。
と予定した。
このあと、ドンドン天候は悪くなり、良くなるのがズット先の可能性大なのだ。
今日、朝5時の予報は出港後に船で見るつもり。
水の補給その他を暗い中で行い、いろいろ対策してある舫い類を整理して、
5時前に正に出港しようとして、5時の天気予報をチェック。
ナント、那智勝浦、串本、つまり紀伊半島南部に強風波浪注意報。
向かい風、強風波浪注意報下で潮の岬を越えるのは無謀というもの。
コリャ、ダメだと離岸し、奥のより安全な岸壁に移動して舫いを固め、6時。
長逗留になる可能性あり。

昼食後、電車で那智駅へ。
浜の宮王子と補駝洛山寺再訪、参拝。
熊野参詣の為古道に沿って神社が配置されその数は次第に増え九十九王子と呼ばれた。
浜の宮王子は那智駅の目の前にある。今は熊野三所大神社と呼ばれている。
記録によれば約1,400年前の設立。
その隣に隣接して補駝洛山寺がある。こちらも神社と同じころ建立された。
補駝洛とは南方の海にあると考えられた補駝洛浄土。
この浄土を目指して生きたまま、僧が小舟に一人乗り海に乗り出して行った。
その最も重要な寺が那智にある補駝洛山寺だ。
那智の海から出て行ったのだ。
石に刻まれた僧は六百何年から江戸時代までざっと数えて25名であった。

 浜の宮王子今は熊野三所大神社  神木
 補駝洛山寺

2014.10.26(日)
新宮の少し手前にある大型商業施設まで買い物に。
那智駅まで行くと、電車は2時間ぐらい先まで無い。11時のバスで行く。
この大型商業施設は新宮港、三輪崎ヨットクラブの前田さんに教えた貰ったんだと思う。
前田さん。日本での長距離航海者が大変お世話になったかただ。
私も何度とお世話になった。
有名なのは前田さんの家には楢崎さんの表札も出ていることだった。
私も前田さんのお宅に行った時、確かに楢崎さんの表札がかかっているのを見ました。
新宮港では楢崎さんと同じ、屋根付きのポンツーンに舫わせてもらって大変助かった。
水はポンツーンまで来ている。屋根付きというのが助かる。トイレもそばの公園にある。
初めて、三輪崎ヨットクラブを訪ねた時、前田さんが車で近くを案内してくれた。
その際、この大型商業施設を教えてもらったんだと思う。
前田さんは無くなったと泉大津の上田さんからうかがった。
私より若いはずだ。もう三輪崎ヨットクラブを訪ねることもないかもしれない。

降りたバスの停留所は佐野王子前。20分程度か360円
この大型商業施設は良く郊外にある色々な大型店舗が集積している。
近くから遠くから来る車で広い駐車場がいっぱいになる。
私の目当てはUNIQLO。靴下が少なくなってしまったので買い増し。
8足購入。実は那智勝浦に寄った時にこの店に来る予定でいたのだ。
私は靴下と下着は毎日替える。パンツはいつか枚数を数えた時、20枚近くになったところで、数えるのを止めた。
私の足の親指の爪は大きくかつ上に反っている。靴下にすぐ穴が空く。靴下の枚数が次第に減って来るわけだ。
すぐ洗わなければならないので面倒。結構気になっていた。ヨットで寄るUNIQLOのある都市は少ない。
ようやっとたどり着いたわけだ。
あと、オークワの巨大店がある。塩、お茶その他を購入。
ホームセンターもある。K's電気もあり、プリンターのインク(再生品)を探したが無かった。

あれこれ購入するので重たくなる。帰りは電車でかえるつもりで紀伊佐野駅を見に行く。
遠くは無いが、重たい荷物を運ぶには距離がある。帰りもバスにする。

昼はマックでビックマック、ケンタッキーで鳥肉と2軒寄る。こんな奴っているのかなー。
誰かが見ていたら恥ずかしい。

2時2分のバスに乗る為、バス停まで行ってみると前に、佐野王子の跡、記念碑が建っていた。
「佐野王子、京の都から熊野へと向かう熊野参詣道沿いに祀られた熊野九十九王子の一つ。
後鳥羽上皇の夫人、修明門院が熊野参詣のおりここで昼休みしたという記録がある」

重い食糧を持って、艇まで戻る。
マー目的は達した。買って来た果物を先ず食す。
目の前の緑色の海が美しい。

 佐野王子の跡